沿革
茂朱郡は、南北に伸びる小白山脈を挟んで、三韓時代は東は弁辰、西は馬韓に属し、三国時代は弁辰の茂豊は新羅に属して茂山県とされ、馬韓の朱溪は百済に属して赤川県とされていたものを、統一新羅時代以降は茂山を茂豊に、赤川を丹川に改称したが、高麗の建国とともに茂豊の地名は残したまま、丹川を朱溪に変えた。
その後、朝鮮時代の太宗14年に全国の行政区域を改編する際、旧新羅の茂豊と百済の朱溪を合併、一つの行政区域に編成し、二つの地名の頭文字を取って「茂朱」と改めたものが、今日に至っている。
三韓時代 |
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三国時代 |
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統一新羅時代 |
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高麗時代 |
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朝鮮時代 |
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旧韓末 (現代) |
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