747年~1748年に通信使と日本に行ったこともある。崔北(さいほく)の奇妙な行動は狂人とまでいわれる程であった。代表的なエピソードは、友人と金剛山の九龍淵を見物しに行った時、楽しんでお酒に酔い泣き笑いしながら"天下名人崔北は、天下の名山で当然死ぬべきである。"と叫んで九龍淵に投身したが、一緒にいた友人達に助けられたことや、ある貴人が彼に絵を要請したが、崔北が許可しないので、脅迫しようとすると"他人が私に手をつける前に、私が私に手をつけなければならない。"と右目を刀で刺して見えなくなってしまった話などはよく知られている。
美術館には崔北の影印本60点余りが所蔵されていて交代で展示さている。